2009年05月07日

aeon論1

リビドーってのは生きようとする力の向き。
デストルドーってのは破壊しようとする力の向き。


あくまで俺の解釈。




リビドーについて掘り下げると、語源はラテン語で”強い欲望”という意味になる。

フロイトという人が居て、彼はリビドーに対し性的な欲望という解釈を提案した。
これに対して俺は同意し難い。
理由は側面的すぎる。
まー、それもあるだろうとは思うけども。


一方ユングという人は、リビドーに対してあらゆる本能エネルギーの本体という解釈を提案した。

こちらが俺の解釈のベースになってる。


基本的に人間は生きる為の身体的と精神的なメカニズムを生まれながら持ち合わせてる。
なので生きる為の欲望というのは無意識であったとしても満たしていこうとしている。
それは生命エネルギーが続く限り繰り返される。

その欲望から逃れられないが故にヒトは反発を起こしたりもしてしまう。実際に自分の体を傷つけたりもする。とてもワガママ。ファッションのようなお手軽なものから身投げまでのヘビィなモノまで。その力の向きと言うのがデストルドー。

これは退行というモノを突き詰めた究極点であり、生命発生以前の原初への回帰を目的としている。それは生死や存在非存在の区別もなく明示的言語で表現するのは困難なので「死」というメタファーでフロイトは命名した。ただし人間の「死」のイメージとは関係なく非生命に向かうという意味でしかない。



この2つのキーワードは結局生きる為に必要としている。それがとてもおもしろいと思った。
合反する力が同じ目的を共有する。

例えば皮膚。
細胞は死にながら生まれていく。2つの向きのバランスが崩れると大変な事になる。
これと同じくリビドーとデストルドーもバランスを保って俺達は生きている。


”とても脆い危うさで保たれたバランス”


今回aeonで表現したかったのはそれだ。



では何故タイトルがaeonなのか?はまた今度。
ラベル:アルフォート
posted by HERO at 03:18 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

aeon論を読む前の論

hieroglyphの発売から1年半以上が経った。



あの頃の俺はアーティストとして詩を書き、歌う。これだけで酔いしれる事が出来た。

今も中心軸はそこにはあるけど、バンドとして活動し続けるのはそれだけでは難しい。
1年半という月日はそれを俺なりに理解するには十分だった。




5月27日。

aeon。


これが乗り越えて出した答なのかどうかはよくわからないけど、間違いなくこれがきっかけとなるはずなんだ。
4月25日小倉から再始動した新生Dogma組はもう5人だけじゃないという証明の。

サポートしてくれる皆と応援してくれる皆様とお前とお前とお前とお前と俺でまた一つずつ構築していく。


それこそが限りのある時の中で代わりとなる、忘れられない証にきっとなるんだ。
posted by HERO at 18:19 | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。